私たちのモノ作りは、﨑村シューマッハーマイスターの協力を得ることによって大きく前進することになり、ショット由来の技術で個々人のために作製するカスタムメイド靴の提供は可能になりますが、「足の保健靴」の方は、実は、高度の製靴技術だけでは開発・生産できないのです。
つまり、整形外科靴技術に支えられて提供される「ドイツ健康靴」に代わる「足の保健靴」の開発・生産のためには、「ドイツ健康靴」に装着されているドイツ人のためのフットベッドに代わる、「日本人のためのフットベッド」の開発・生産が必須なのです。
カスタムメイド靴には、一人の顧客のために、個別の素材で個別の形状の、まさに靴の中で足を支える「足の寝台(フットベッド)」を作り付けることになりますが、「足の保健靴」には、個人用のカスタムメイド品ではない、しかし、整形外科靴技術にとっては不可欠なフットベッドが装着されなければならないのです。
それを、ショットから学んだ技術で日本人の標準的なフットベッドとして量産できて初めて、高度な技術で生産された靴を「日本人のための足の保健靴」にすることができるのです。
そして、カスタムメイド靴であれば、特定の顧客に対して、技術者が責任を持って提供できる製品になれば完成品と言えるのですが、「足の保健靴」は、一人のために作られる製品ではありませんから、多くの不特定多数の人たちの誰が履いても、日本人に多い足のトラブルに対しての予防、進行抑止、改善の可能性があることを、確かな根拠で検証できなければ、完成品とは言えません。
そのため、「足の保健靴」の完成は、多くの人たちの協力なしには不可能でした。
私たちが集積している多くの顧客データをベースに、ショットから学んだフットベットの構造に対応する、日本人の標準的な足の骨格を想定したフットベッドを設計することは、私たちの仕事ですが、それを、最適の素材で試作し、さらにその効果を実際に検証することは、私たちだけでできることではありません。
私たちが、幸運だったのは、それはショット自身の日本での10年に余る活動の成果でもあったのですが、NPO設立当初から、ショットの技術を評価し、それを日本に根付かせようとする私たちの活動を強力に後押ししてくださる人士が、少なからず存在していたということです。
ショットの技術をいち早く評価し、以前からショット自身を大学へ招聘して交流を結んでいた筑波大学の白木仁、下條仁士、足立和隆の3助教授(いずれも当時)が、フットベッドの設計時のアドバイスから、試作品に関する足底圧分散効果の検証、また、実際に履き続けることによる臨床的検証、さらには、素材の特質による靴内環境の検証に至るまで、継続的に担ってくださることになりました。
また、試作に関しては、東洋医学の経絡理論から足底への刺激効果を実現する靴の中敷を、日本の風土に適合した通気性良好な素材で開発・生産していた安部嵩氏が、私たちの事業を高く評価し、試作のみならず、生産、技術移転に至るまで、全面的にサポートしてくださいました。
そして、何より決定的だったのが、私たちの事業に着目した福岡県立大学生涯福祉研究センターの人士の活動でした。
日本における足のトラブルへの対応の現状に危機感を抱いていた、糖尿病専門医でもある名和田新・学長(当時)の積極的な意向も相俟って、福岡県立大学が、10余年にわたって、私たちの事業に積極的に関与し続けることになります。
神谷英二教授をプロジェクトリーダーに、学部横断事業として附属研究所に立ち上げられた「足と靴の問題性と福祉拡充に関する総合的研究プロジェクト」に、学内外の多くの福岡県内人士の力が結集され、私たちの二つの仕事が、靴総研独自の仕事としてではなく、福岡県立大学のプロジェクトの成果として、次々に現実化することになりました。
その中でも特筆すべきは、安部氏の協力によって、樹脂を使うことなくコルク粒100%を熱成形する韓国発の技術で試作・委託生産されていたフットベッドの国内生産が実現したことです。
プロジェクトに積極的に参加していた県内の福祉NPO「福祉でまちがよみがえる会」が中心になって、韓国からの技術移転による工場を大牟田市に設立し、「足の保健靴」に不可欠なフットベッドの国内量産化を実現することになりました。
そして、プロジェクトでは、日本人に特有の足のトラブルに対処できる多様な「足の保健靴」を、日本人の生活様式、労働内容等々を考慮して開発し、特に、筑波大学での検証を踏まえたフットベッドを装着した「足の保健靴」としての機能性についての検証が行われました。
検証では、靴そのものの機能性に加え、それを履いた正しい歩き方が、開張足の予防・改善に効果を持ちうるエビデンスまでが示され、「日本人のための保健靴」としての完成と同時に、その使用方法の啓発の必要性を確認することができました。(※)
こうして、私たちのモノ作りの仕事は、多くの心ある人たちの多大な協力によって、まさに、「日本人の足と靴の問題性」の克服を願う多くの人士の協働として、達成されることになりました。